日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の魂が鶴となって降り立った地に神祠を建てたのがはじまりとされているお社。
武芸上達、開運厄除けの神社として広く崇敬されております。
さぬき十五社 第一番 / 新四国曼荼羅霊場七番札所 / さぬき七福神 恵比須神
鎮座所 | 香川県東かがわ市松原69番地 |
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祭 神 |
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境内神社 |
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境内地 | 4万坪 |
氏子区域 | 東かがわ市松原 白鳥 三本松 原間 |
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、12代
日本武尊について、『古事記』に次のような神話があります。
大和国に熊襲より帰ったヤマトタケルでしたが、父帝は
次に走水の嵐の中で橘弟姫は海に身を踊らせ、海を鎮めます。大和への帰りに伊吹山の神の退治に出かけ、病に冒され、
そして、「白鳥神社の由緒」により、白い鳥は鶴となり讃岐の国松原村に舞い降りて、白鳥神社として祀られました。
境内には約十本のクスノキがあり、環境省が選定したかおり風景100選の一つに選ばれています。
中でも香川県の保存木に指定されているクスノキは、樹齢約800年、高さ約30m、境内の森に一段と威容を誇っています。
虎頭の舞は、白鳥神社秋祭の渡御にお供する獅子舞の一種です。
江戸時代、近松の歌舞伎「国性爺合戦」を取り入れ、少年の和唐内が虎を退治する趣向で、県下でも数少ない舞です。無形文化財に指定されています。
青江正恒作、折紙付、鮫柄紫糸巻、鞘梨子地金葵紋付、黄金作、長さ2尺4寸(72.2㎝)、享保7年(1722年)9月、第三代高松藩主松平頼豊奉納。青江正恒は岡山県青江の住人。鎌倉時代の建久年間(1190年頃)の名刀工として有名です。
『折紙』
「青江正恒 太刀 正真(長さ弐尺四寸少 磨上之) 代金子 拾枚 宝永元年申(1704年) 六月三日、本阿 花押」
寛文4年11月24日、松平頼重奉納。
同5年1月18日、白鳥神社の神前において行われた、養嗣子頼常の鎧の着初式に着用せられました。
葵紋付、藩主着用のものといいます。明治4年10月(一説6年)、第十二代藩主松平頼聡奉納。
長さ1尺2寸(36.7㎝)、幅中央部1寸4分、弥生時代の遺物。享保20年、高松北浜の漁師が、庵治沖の海中より引き揚げたもので、寛保2年(1742年)7月6日、松平頼恭奉納。
絹地彩色絹表装、長さ4尺、幅1尺8寸、『御朱印由緒書』に狩野常真画とある、寛文年間、松平頼重奉納。
紙地絹表装、聖護院二品動晃法親王(後陽成天皇皇子)御筆、寛文4年、松平頼重奉納。裏書、「寛文四年辰九月四壬辰日、遍照金剛二品道晃親王書之」
桐木地着色、黒塗木枠付、縦58.5㎝、横40.5㎝、昔は拝殿内に掲げられていました。
寛文4年、松平頼重奉納。
画家:狩野永真(安信)
和歌筆者:
妙法院宮二品尭恕法親王(後水尾天皇皇子) (兼輔、敦忠、公忠、朝忠、高光、忠岑)
聖護院宮二品道寛法親王(後水尾天皇皇子) (業平、素性、猿丸、遍照、友則、小野)
青蓮院宮二品尊證法親王(後水尾天皇皇子) (女御、敏行、宇于、頼基、重之、信明)
曼殊院宮二品良尚法親王(八条宮智仁親王子)(清正、興風、是則、順、元輔、元真)
平成20年9月、北小路成子奉納。
平成13年正月から「さぬき七福神」が開創されました。
白鳥神社
田村神社
滝宮天満宮
與田寺
法然寺
香西寺
国分寺
七福神とは、それぞれ異なる福を持つ神さまを祀られている社寺を巡拝し、ご神徳を頂く巡拝詣でのことです。巡る順番はございません。年神様がいらっしゃるお正月の松の内の期間(地域によって異なりますが、基本的には1月1日から15日まで)にするとより良いとされております。
七福神巡りの期間については、規定日数内に終えなければならないということはなく、一日で7つの神社をすべて巡ってもいいですし、数日に分けて巡っても大丈夫です。特に「七福満願成就」といって、7社寺を7年間続けて7回巡ることで、より多くのご利益をいただけるとされております。専用の御朱印帳に参拝の証として7回重ね印を押して頂く七福巡拝をしてみてはいかがでしょうか。
三社四寺の神仏混ごうです。それぞれの神社仏閣は、古より篤い信仰を集めており、それぞれの福神を祀る由緒ある社寺です。
七福神それぞれの社寺にて、専用の御帳面に宝印を浄書しております。また、7回ご参拝ごとのカード型の書置きの御朱印も頒布しております。
三社四寺を巡り、香川県の歴史とロマンを楽しみ、ご参拝ください。
白鳥神社の宮司は代々猪熊家が継いできました。